アルツハイマー病の原因と発症機構

上記の「これだけは知りたいアルツハイマー病の基礎知識」をご覧になったことを前提に書きます。家族性アルツハイマー病でも孤発性アルツハイマー病でも、発症の約20年前にアミロイド(Aβ)が脳内に蓄積し始めます。これを最初に示したのは、東京大学医学系研究科の井原康夫教授(現同志社大学教授)でした。1990年代のことだったのですが、これが世界で正しく認知されたのはつい最近の2010年頃です。次に、タウタンパク質が神経細胞に蓄積します。そして、神経変性(神経細胞が変性し死滅すること)が生じます。認知症症状の直接の原因は神経変性だと考えられます。ただし、病気ではない物忘れの原因がアミロイド(Aβ)蓄積である可能性は高くなりました。根拠は二つあります。一つは、アルツハイマー病の発症リスクを抑える遺伝子変異が脳の正常老化も抑制することです(後述)。もう一点は、マウスモデルにおいてもアミロイドが蓄積するだけで記憶力が有意に低下することです。

アルツハイマー病の最大の危険因子は加齢です。正常老化でもアミロイド(Aβ)が脳内に蓄積することを井原康夫教授は示しました。個人差はありますが、ほとんどの人が50歳を過ぎるとアミロイド(Aβ)を蓄積し始めます。その結果、85歳では4人に1人が、100歳では10人に9人が認知症を発症します。そして、120歳まで生きたら全ての人が認知症を罹患することになっています。逆に言えば、「人生50年」の時代には実質的にアルツハイマー病は存在しなかったことになります。(若年性アルツハイマー病はあったはずですが、恐らく精神疾患として認識されていたのだと思います。)

アルツハイマー病研究の歴史において、「アミロイド(Aβ)蓄積(老人斑形成)→タウ蓄積(神経原線維変化形成)→神経変性(神経細胞死)」という病理学的時系列がまず確立されました。原因は結果に先行するという理屈から「アミロイド(Aβ)蓄積が原因である」という「アミロイド仮説」が唱えられました。一方、タウ蓄積の方が神経変性や臨床症状とよく相関することから「タウの方が大事である」という意見もあり、1990年頃まで激しい議論がなされました。

議論は膠着状態でしたが、90年代に入って家族性アルツハイマー病の原因遺伝子が次々に発見されました。多くは若年(65歳以下)で発症します。アミロイド前駆体タンパク質(APP)・プレセニリン1・プレセニリン2の3つの遺伝子です。これまでに200以上の変異が見つかり、いずれもアミロイド(Aβ)蓄積を促進する作用があります。これらの変異を持つ人は、若齢でアミロイド(Aβ)蓄積→タウ蓄積→神経変性という典型的アルツハイマー病理を示します。病理像と臨床症状とも孤発性アルツハイマー病とほぼ同一です。一連の発見によって「アミロイド(Aβ)仮説」は、かなり強くなりました。

一方、タウ研究も興味深い展開がありました。90年代後半に、タウ遺伝子の変異が家族性前頭側頭葉認知症を起こすことが分かりました。この病気はアルツハイマー病とは違います。アミロイド(Aβ)は溜まらずにタウが蓄積し、神経変性が生じます。また、パーキンソン病様の運動失調が生じる点も異なります。このことは、タウ蓄積はアルツハイマー病の根本的原因ではないにしても、発症機構に深く関与していることを示しています。

つまり、アミロイド(Aβ)蓄積もタウ蓄積も両方が大切だと言うことになりました。「アミロイド(Aβ)蓄積→タウ蓄積→神経変性」という時系列は、大まかな因果関係を示していたわけです。ただ、アミロイド(Aβ)が蓄積すると何故タウが蓄積するのかについては、ほとんど分かっていません。現代アルツハイマー病研究の最大の謎といってよいでしょう。また、全ての神経変性過程がタウ蓄積に依存するか否かは不明です。タウ蓄積に依存しない神経変性過程が存在する可能性は残っています。

このような背景があったため、アミロイド(Aβ)蓄積を標的とした薬剤が多数開発されました。抗体療法(能動免疫・受動免疫)・βセクレターゼ阻害剤・γセクレターゼ阻害剤・アミロイド(Aβ)凝集阻害剤などが臨床試験で試されました。数千億円以上が使われたはずです。ところが、今のところ全て失敗しました。理由は簡単です。発症してしまった患者を対象に治験を行ったからです。「アミロイド(Aβ)が蓄積してから発症するまで約20年を要する」という概念が浸透していませんでした。肝疾患でいえば、末期の肝硬変になってしまった患者さんに食生活の改善や禁酒(ウィルス性肝炎の場合は抗ウィルス治療)を勧めたようなものです。がんにたとえれば、全身に転移してしまってから抗がん剤を投与したようなものです。上手くゆくはずがありませんでした。

上記の治験の失敗は、アルツハイマー病研究に対する強い批判を招きました。これに対する反省に基づいて、米国を中心に未発症者を対象とした大規模な縦断的予防試験が始まりました。詳しくは下記の「日本そして世界の製薬企業の実態について」をご覧ください。

このような状況の中、「アルツハイマー病にならない遺伝子変異」が2012年の夏に報告されました。日本ではほとんど報道されなかったので、知らない人が多いと思いますが、決定的に重要な論文です。この遺伝子変異はアミロイド前駆体タンパク質(APP)遺伝子のアミロイド(Aβ)配列内にあり、アミロイド(Aβ)産生を40-50%程度抑制することによって、孤発性アルツハイマー病の発症リスクを約1/7に抑制します。さらに大切なことは、この遺伝子変異が脳の正常老化も抑制することです。つまり、アミロイド(Aβ)蓄積は孤発性アルツハイマー病だけでなく、脳の正常老化の(少なくとも一部の)原因であることが分かったのです。

実は今でも「アミロイド(Aβ)仮説は家族性アルツハイマー病には当てはまるが、孤発性アルツハイマー病は違う」と主張する人がいます。しかし、上記の2012年の論文はこの主張を完全に吹き飛ばしました。無知とは怖いものです。加齢に伴うアミロイド(Aβ)蓄積を抑制することができれば、アルツハイマー病だけでなく脳の老化も予防できることがほぼ確定しました。問題は「いつ」そして「どのように」予防するかです。

私たちは根本的原因を除去することを目標にしていますので、タウは研究開発の対象としていません。しかし、タウ蓄積は神経変性と密接に関係していますから、有望な治療標的であることは間違いないと思います。

ちなみに、神経原線維変化の主要構成成分がタウタンパク質であることを最初に示したのも、井原康夫教授でした。1980年代のことです。井原教授は、私がアルツハイマー病の研究を始めた頃にアルツハイマー病のイロハを教えていただいた恩師でもあります。当時(1990年代)東京都臨床医学総合研究所(現:東京都医学総合研究所)にいた私は、毎週のように東大脳研(当時)に通い、データを見ていただきながらディスカッションをしました。駒込と本郷を自転車で往復しました。夢のように楽しい日々でした。

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Christian Haass, John Hardy and Michael Wolfe.