再生医療研究について:その問題点

以下の言説を公開するか否か随分迷いました。起業するに当たってあえて敵を作ることは得ではないからです。しかし、日本の生命科学研究の現在と未来を考えるとどうしても言挙げせざるおえません。何とぞご理解をお願いいたします。

現在、日本では再生医療研究に多くの税金が使われています。その結果、認知症を含む他の医学研究の研究費が減らされています。京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞研究でノーベル医学生理学賞を受賞した際、多くの政治家・官僚・メディア・国民は誤解してしまいました。「山中教授は再生医療の道を開いた!」と勘違いしてしまったのです。山中教授の受賞理由は「再生医療の道を開いた」ことではなく、「一度分化した細胞でも山中因子と呼ばれるDNAを導入すればリセット(リプログラム)することができ、これを再度いくつかの細胞種に分化させることができる」という基礎生物学的発見でした。その証拠に、同時受賞したSir John Bertrand Gurdonの業績を調べてみてください。

ちなみに、ノーベル医学生理学賞は、正確には「ノーベル医学または生理学賞」です。山中教授が受賞したのはどちらかというと「ノーベル生理学賞」です。日本で「ノーベル医学賞」の対象となるべき方は何名かいると思いますが、その筆頭は元大阪大学総長の岸本忠三博士だと私は思います。岸本博士は免疫学の大家で、IL-6に関する一連の発見はすでにリューマチの治療に臨床応用されています。iPS研究はまだ一人の患者も救っていませんが、IL-6研究(免疫療法)は多数の患者を救っています。

上記の「勘違い」は悪い意味で政治利用されてしまいました。政府が掲げるイノベーションという言葉とも相性がよかったようです。再生医療は基本的に移植を前提にしています。移植は外科手術を伴います。iPS細胞から何らかの臓器あるいは一部を作製しなければいけないのですが、実は前途多難です。

まずガン化の問題があります。最初は、山中因子の一つc-mycがガン遺伝子であるため、これが懸念されました。最近、このc-mycを含まないiPS細胞を作製することが可能になり、この問題は解決したかのように思われました。ところが、iPS化に伴って遺伝子(DNA)配列が変化することが明らかになりました。さらに、今度はエピジェネティックスの問題が出てきました。エピジェネティックスとは、DNAの塩基配列ではなく、DNAやヒストン(DNAを取り囲むタンパク質)の化学修飾が遺伝子の発現を制御する仕組みのことです。比較的最近分かったことですから、現役の生命科学者以外はあまり知らないと思います。実は、iPS細胞がエピジェネティックスによってガン化する可能性が指摘されています。このメカニズムは不明の点が多いので、早急に明らかにすべきです。細胞生物学の一般的常識から言っても、細胞の増殖とがん化は紙一重です。iPS化とは、分化した細胞をリセットして増殖能を付与するわけですから、簡単にがん化と縁を切るのは難しいように思います。私の個人的情報では、厚生労働省はこの問題に既に気づいているようです。

恐らく、京都大学iPS研究所はエピジェネティックの問題に必死に取り組んでいるはずです。iPS研究の存在意義に関わるからです。そして、私の想像ですが、膨大な情報を前にして、途方に暮れているのではないでしょうか。エピジェネティックな変化の実態は、DNAやヒストンのメチル化等による化学修飾です。そのデータが沢山蓄積されても、意味づけすることが極めて難しいからです。最近、ヒストンの遺伝子変異によってもがんが引き起こされることが分かりました。ところが、ヒストンの化学修飾はDNAの化学修飾よりもはるかに分析することが難しく、ほとんど分かっていません。要するに、この分野は分からないことだらけです。臨床応用への道は、蜃気楼のように遠く思われます。

・・・話が少し脱線します。人間とチンパンジーは遺伝子配列がほぼ(約99%)同一であるといわれます。しかし、その認知能力には大きな差があります。最大の違いは、前者には言語能力があり、後者にはないことです。この差は、エピジェネティックスによるのではないかと私は推測しています・・・

仮にガン化の問題がクリアできたとしても、対象となる臓器や疾患はかなり限定されます。たとえば、脊髄損傷は、損傷後ある一定時間以内に治療をする必要があります。患者さん自身のiPS細胞を使うことが望ましいのですが、そうすると損傷が起きる前に細胞を準備しておく必要があります。つまり、国民全員のiPSバンクを作る必要があるわけです。脊髄損傷で半身不随になった方々にマウスのデータを示して「iPSで直りますよ。」と言うのは、あまりに安易であり残酷です。また、最初に臨床試験がなされようとしている網膜の細胞ですが、実は視細胞の再生にはまだ成功していません。したがって、視細胞が失われて失明の危機にある多くの人を救うわけではないのです。腎臓・心臓・脳と言った複雑な臓器も完全に再構築するのはおそらく不可能でしょう。膵臓のβ細胞を作ることができれば、I型糖尿病を治療することはできるかもしれませんが、インシュリンの分泌量をどのように制御するのでしょうか。血中インシュリン濃度が高くなりすぎると、低血糖症になって死亡する場合もあります。

iPS細胞は、移植以外の目的で使うこともできるとされています。任意の疾患の患者さんから細胞を作り、病気のモデルとして治療薬のスクリーニングに供するという応用です。主に製薬企業が利用しています。作製した細胞が病態を反映する妥当なモデルであれば、これは成功する可能性があります。あまり好ましくない例については、上記「日本そして世界の製薬企業の実態について」の富士フイルムの項で述べました。アルツハイマー病研究にiPS細胞を応用することは、本質的に無理があります。iPS細胞を疾患研究に応用するためには、個々の疾患に対する豊富な専門知識が必要です。

私は、再生医療研究が悪いとは言いません。しかし、結果的に他の疾患研究に対する研究費が削られていることが問題です。迫り来る「少子高齢化社会」に対応するために何が一番大切かを考えてください。研究者の中には、仕方なくiPS研究をしている人もいます。研究費を獲得するためです。

多くの政治家や官僚は一度決めた政策を見直すことを嫌います。彼らの気持ちはよく分かります。財務官僚の多くは東大法学部出身です。頭はよいし、よく働く(本当によく働きます)ので、プライドの高い人も多いと思います。(テレビなどでは冷徹なイメージがありますが、人間味のある人もたくさんいます。)しかし、ここは勇気をもって決断して欲しいと思います。国民の税金を最も有効に使って欲しいからです。日本の、そして、世界の社会保障制度を守ってください。それに、現状が改善されなければ、政治家や官僚本人とその家族もいずれ認知症を患うことになるのです。どんなに頭のよい人も長生きすれば脳の老化と認知症からは逃れられません。

政治家と官僚は、「iPS研究が金になる!」と思ったのでしょう。しかし、サイエンスとは、先が読めないからこそ、サイエンスなのです。だから、結果的に金にならなくても、恥じる必要はありません。あくまでも真理の追求は続けるべきですが、開発は研究とは違います。研究で成功したからと言って開発で成功するとは限らないことを多くの企業人が知っています。私は、山中伸弥教授自身に、再生医療の現状と問題点について冷静かつ客観的に分析・発信していただきたいと、切に思います。それは、科学者というより人間としての責任だからです。再生医療以外の研究費を減額したのは山中教授ではありません。政治家と官僚です。しかし、山中教授の業績や言動がその拠り所となっています。これを見て見ぬふりをするべきではありません。

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