日本そして世界の製薬企業の実態について

アルツハイマー病の診断薬・予防薬・治療薬の開発は各製薬企業の命運を握っています。社会的要請と市場規模が非常に大きいからです。繰り返しになりますが、アルツハイマー病によって引き起こされる世界の医療経済学的負担は、2050年には500兆円に達すると予想されます。この市場を制するものが今世紀の覇者となるでしょう。

日本でも、いくつかの企業がアルツハイマー病に関する研究開発を行っています。以下、プレスリリースされた公知ものについて解説します。正直なところ、「事前に相談してもらえばよかったのに・・・」と思うことが多々あります。

これまで、治療薬として臨床試験の対象となったのは、βセクレターゼとγセクレターゼの阻害剤・Aβ凝集抑制剤・抗Aβ抗体等の原因療法およびコリンエステラーゼ阻害剤・NMDA受容体アンタゴニスト等の対症療法です。原因療法は、前述の通り、治験のタイミングが間違っていたため、今までのところ成功していません。対症療法は、一時的に認知能力を回復させますが、結局、認知不全は進行してしまいます。

島津製作所:製薬企業ではありませんが、田中耕一氏が中心になって診断法の開発に取り組んでいます。質量分析の技術を使って、血中のアミロイド(Aβ)を測定しているとのことです。しかし、血中のアミロイドのほとんどは脳由来ではなく血管内皮細胞や血小板から作られるものです。さらに、血中のアミロイドをアルツハイマー病の診断に使うことができないことは、随分以前から確立されています。島津製作所はこの研究のために国から40億円の助成金を受けています。高性能の質量分析装置は出来たかもしれませんが、私には40億円の血税をドブに捨てているとしか思えません。研究グループはアルツハイマー病関連の論文を読んできたのでしょうか?なお、この助成金はガン診断の研究にも使われているようですから、納税者としては何か一つでも新しいマーカーが見つかることを願うばかりです。

富山化学:富士フイルムが買収した実質的子会社です。興味深い認知機能改善薬「T-817MA」を開発しました。神経細胞保護効果と神経突起進展促進効果があるそうです。既に臨床試験も始めています。実は、2014年6月、担当者が私を訪ねてきました。まだ、作用機序(メカニズム)が不明だそうです。私はいくつか助言をしました。今後は、これを明らかにすることが大切でしょう。おそらく、完全な予防薬(根本的治療薬)にはならない可能性が大きいと思います。

富士フイルム:京都大学iPS研究所と共同で、iPS細胞を利用した「T-817MA(上記)の有効性を予測するバイオマーカーの特定やアルツハイマー病治療に対する新たな臨床試験の方の確立」を目指すそうです。患者由来のiPS細胞を使うとのことですが、方法論が誤っています。神経細胞はいったん分化・成熟すると二度と分裂できません。そのままの状態で、私たちの身体の中に何十年も存在するわけです。それが50年以上過ぎると、老化の表現型を示します。一方、iPS細胞は、線維芽細胞をいったんリセット(リプログラム)して、実質的に生まれる前の状態に戻します。これを改めて神経細胞に分化させるわけですから、「老化」という最も大切な要素が抜け落ちてしまいます。したがって、家族性アルツハイマー病(患者数は全アルツハイマー病患者の1%未満です)以外は、iPS細胞を使う意味がありません。大切なことですから、もう少し詳しく説明します。線維芽細胞からiPS細胞を樹立する際、全ての細胞がiPS化するわけではありません。最初の効率は約0.1%でしたが、今は20%ぐらいだそうです。(100%転換できると報告した研究チームがイスラエルにあります。)一部のグループの細胞が選択されますから、実験的には、サブクローニングを行っていることになります。さらに、iPS細胞から神経細胞を分化させる時も同様のことが起こります。つまり、最終的に得られた神経細胞が元々の母集団を代表しているわけではないのです。しかもこの「母集団」が元々均一ではありません。極めて多種類の神経細胞から構成されます。脳は宇宙よりも複雑なのです。もう一つ、後述の「エピジェネティックス」に至っては、何が起こっているのか全く分かっていない状況です。脳神経系の複雑さを担っている重要なメカニズムの一つがエピジェネティックスです。線維芽細胞から作った神経細胞が数十年をかけて老化した脳を正確に反映する可能性は、限りなくゼロに近いと思います。繰り返しになりますが、孤発性アルツハイマー病の場合、患者iPS細胞から作った神経細胞が疾患のモデルになることはないでしょう。

武田薬品:メディアからは色々と経営上の問題点を指摘されていますが、何と言っても日本一の製薬企業です。優秀な研究スタッフに恵まれています。かつては基礎研究でもNatureに論文を発表するなど一世を風靡しました・・・ただし、人材の流出は激しいようです。私の知人も退職しました。「あんなに優秀な人が何故?」と思いました。アルツハイマー病については、他社とは異なるユニークな戦略をとっています。一つは、糖尿病の治療薬(AD-4833)です。糖尿病がアルツハイマー病のリスクを上昇させるという疫学的研究に基づいています。治験の対象を選ぶに当たって、アルツハイマー病の遺伝的危険因子とされるApoEとTOMM40の多型を利用しています。二つ疑問があります。糖尿病のアルツハイマー病へのリスクは約2倍程度あるいはそれ以下です。決して大きな効果ではありません。十分な予防効果が期待できるのでしょうか?また、TOMM40多型とアルツハイマー病の関係については否定する論文もいくつか出ており、私自身随分と調べましたが、はっきりとした関係が分かりません。何故、武田薬品はTOMM40にこだわるのでしょうか?米国のベンチャー企業と提携したことが裏目に出ないとよいと思います。この他、BACE1阻害剤(TAK-070)の開発も行ってきました。武田薬品の阻害剤は面白い性質があります。アルツハイマー病モデルマウスだけでなく、通常マウスの認知能力も向上させるそうです。副作用がなければ、面白い薬になるかも知れません。

キリン協和発酵:アミロイド(Aβ)凝集体(オリゴマー)を認識するモノクローナル抗体を用いたバイオ医薬品(KHK6640)の開発に取り組んでいます。問題は、オリゴマーにはたくさんの種類があることです。個人的な予測ですが、成功する確率はあまり高くないと思います。

エーザイ:コリンエステラーゼ阻害剤ドネペジル(商品名:アリセプト)で一時代を築き、莫大な収益を上げました。杉本八郎博士の努力の賜です。しかし、2010年に米国特許が切れたため、ジェネリック医薬品に取って代わられ、現在厳しい状況にあります。現在、主にβセクレターゼ阻害剤(E2609)とアミロイド(Aβ)プロトフィブリルを標的とした抗体医療(BAN2401)に取り組んでいます。前者は副作用がクリアできるか否かが課題です。後述のように、抗体医療は競争が激しい上、年間医療費が200〜400万円と言われますから、万人の医療となるのは難しいでしょう。そもそも成功する可能性がほとんどありません。エーザイは他社と違って中枢医薬への依存が高いので、なりふり構わずという印象です。

大塚製薬:一般の方々には、オロナミンCやポカリスエットのイメージが強いと思いますが、近年、創薬で大成功しています。統合失調症などの精神疾患の治療に使われるエビリファイは2014年の売上げが全米ナンバーワンになると言われています。全米一ということは世界一ということです。日本の製薬企業として快挙だと思います。ただ、2015年にはジェネリック医薬品が米国市場に入ってきます。後継医薬品としてブレクスピプラゾールが控えていますが、売上げは落ちるでしょう。アルツハイマー病に関しては免疫療法(Lu AF20513)とセロトニン受容体拮抗薬(Lu AE58054)に取り組みつつあります。いずれもデンマークのルンドベック社との共同開発です。見所のある会社だと思います。ただし、抗体医療はせっかく蓄えた内部留保を無駄遣いするだけで終わるでしょう。早めに見切ることを勧めます。「泥沼は入る前に出る!」が成功の秘訣です。

大日本住友製薬:スエーデンのカロリンスカ研究所と興味深い共同研究を行ってきました。一部の成果はすでに論文発表されています。カロリンスカ研究所には立派なブレインバンクがありますので、これを利用したのだと思います。アルツハイマー病患者脳の神経原線維変化に対してLMD(Laser Micro Dissection)という比較的新しい方法を使って、興味深い発見をしたようです。新しい標的分子に対する新しい治療法が見いだされるかもしれません。

アステラス製薬2011年11月から、理研脳センターの神経蛋白制御研究チーム(私が主宰する研究室です)と共同研究を行っています。研究の内容は、秘密保持契約がありますから、公にできませんが、着実に成果を上げています。(共同研究の内容は、(株)理研バイオの業務内容と全く異なります。)共同研究は2016年10月末まで継続される予定ですが、アステラス製薬はよい買い物をしました。何が明らかになるか期待して欲しいと思います。ちなみに、2011年に共同研究開始をプレスリリースした際、アステラス製薬の株価が上昇しました。企業としては珍しく、研究成果を論文発表する一面もあります。

非営利団体:大学・研究所等でも興味深い研究開発が進んでいます。今のところ成果について評価できる段階ではないので、本稿では割愛します。

世界企業の動向:世界の大手としては、ファイザーを筆頭にノバルティス・ロッシュ・メルク・グラクソスミスクライン・リリー等が、様々のアプローチを試みています。コリンエステラーゼ阻害剤やNMDA受容体(カルシウムチャンネルの一種)遮断薬は、一時的に効果のある対症療法ですから、根本的治療薬にはなりません。γセクレターゼ阻害剤とβセクレターゼ阻害剤やタウリン酸化阻害剤は、副作用に苦しんでいます。アミロイド(Aβ)凝集抑制剤は、今のところ明確な治療効果が認められていません。現時点で、最も副作用が少なく最も予防作用が強いであろうと考えられているのが、アミロイド(Aβ)に対するヒト化モノクローナル抗体です。製薬業界において世界売り上げトップ10に入る7つのバイオ医薬品のうち5つが抗体医薬であるという現実を反映しています。米国を中心に前臨床性アルツハイマー病患者を遺伝子(家族性アルツハイマー病を対象)あるいはアミロイドPET(孤発性アルツハイマー病を対象)で特定し、発症前に抗体の投与を開始し、少なくとも5年は経過を観測することによって、予防効果の有無を判定します。代表的なものは、API (Alzheimer Prevention Initiative)とDIAN (Dominantly Inherited Alzheimer Network)とA4 (Anti-amyloid Asymptomatic Alzheimer)の三つです。抗体は、おもにリリーやジェネンティック製が使われているようです。全世界で数千人が被験者となる大規模縦断的研究です。多くの医療関係者・研究者・研究費・時間を要しますが、大変重要な研究です。POC (Proof of Concept)になるからです。ただし、次項で述べるような問題点があるため、私は失敗する可能性が高いと推測します。私の推測が正しければ、この10年以内に相当数の製薬企業が倒産することになります。

総じて評すると、世界の主要製薬企業の大半は早めに方針転換をするべきでしょう。莫大な公的資金がつぎ込まれています。単なる経営上の問題ではありません。彼らには社会的責任があります。自社を宣伝するわけではありませんが、我々の「次世代型アルツハイマー病モデル」を使用すれば、大金を節約するだけでなく、新たな、創薬への未知が開けると思います。ダークホースはアステラス製薬かもしれません。

オリジナルホームページへ

ポンペイ遺跡

Pompei, Italy.